池田美樹のおんな旅・いま、ふたたびの津和野へ
おんな旅。それは、何もかも知り尽くした女を心から満足させる、再発見の旅。
池田美樹のおんな旅、今回は島根県の津和野町に出かけます。
▲津和野の堀割に泳ぐ鯉。
遠い昔、行ったことがある津和野。おぼろな記憶の中には、美しい街並みと堀割を泳ぐ鯉の姿が浮かんでいます。
あれは、中学生の時の修学旅行だったか…遠い記憶の彼方です。私はといえば、論文の執筆に追われる毎日。少し心に潤いがほしい。そんなときに思い出した津和野に、ふと出かけてきました。
つわぶきの生い茂る野
山陰の小京都と呼ばれる津和野へは、小さな「萩・石見空港」から車で約40分。島根県の南西部、山口県との県境に位置する津和野町は「つわぶきの生い茂る野」がその地名のいわれなのだとか。
まずは腹ごしらえ。郷土料理の「うずめ飯」を選びます。うずめ飯とは、ごはんの下にみつば、椎茸、にんじん、豆腐、のりなどをうずめ、出汁をかけていただくもの。その昔、お客さんに出すものが山菜くらいしかなく、表に出すのが恥ずかしい、という気持ちで白飯の下にうずめて出したといういわれがあるのだとか。
▲うずめ飯。ごはんだけのお茶漬けに見えるけれど…。
▲ごはんの下には、この通り。
控えめな昔の津和野の人を思いながらいただいたうずめ飯は、ほんのりと上品な味がしました。
商家が並ぶ本町通りをを少し歩いてみることにしましょう。城下町のたたずまいを残した街は、とても静かです。
▲本町通り。
この地には、清浄な水と地元産の酒米で日本酒を造る3軒の蔵元があり、明治初期に創業した古橋酒造もその一軒。
地元の左官・藤本誠一氏寄贈の龍の鏝絵(こてえ)を眺め、日本酒の試飲をさせてもらいました。
▲鏝絵。鏝絵とは漆喰を用いて作られるレリーフのことで、左官職人がこて(左官ごて)で仕上げていくことから名がついた。
▲古橋酒造と言えば初陣。
どんな場所に行っても、知りたくなるのはその街の歴史。津和野の歴史を知ろうと、本町通り沿いにある津和野町日本遺産センターに寄ってみました。
▲津和野町日本遺産センター。
ここに展示されていた「津和野百景図」に思わず見入ってしまいました。
最後の藩主・亀井茲監(かめいこれみ)の側に仕えた栗本里治(くりもとさとはる)が藩内をめぐり、名所や風俗、食文化などを生き生きとスケッチして約4年の歳月をかけて百枚の絵を描き、詳細な解説を加えてまとめたもの。
江戸時代の終わり、津和野が経済的にも安定し、文化が花開いたころの藩内の様子が描かれています。
▲津和野百景図。江戸時代の絵と現在の同じ場所の写真を対比して見ることのできる展示がおもしろかった。
本町通りを引き返し、旧武家屋敷や旧藩校が並ぶ殿町通りへ。城下町時代の古いたたずまいを残す美しい通りには堀割(用水路)がめぐらされ、中には300匹とも500匹ともいわれる色とりどりの鯉が泳いでいます。
遠い昔と、記憶が重なりました。
▲殿町通り。
隠れキリシタン迫害の歴史
城下町なのになぜか白く荘厳な教会が目に入ります。津和野カトリック教会です。
▲津和野カトリック教会。ドイツ人シェーファー神父が建てたとして知られる。
明治維新の直後、津和野には隠れキリシタン153人が配流され、過酷な拷問が繰り返されたという悲しい歴史が伝えられています。この教会は昭和6年に建てられ、今も殉教したひとびとのための祈りを捧げる場所となっているそうです。
中は畳敷きで、私の故郷である熊本・天草の教会を思い出させました。
▲畳敷きの教会内。
街の中心部を離れ、5分ほど歩いて次は太皷谷稲成神社へ。鎮座するのは津和野の町を見下ろす霊亀山中腹。表参道から「千本鳥居」をくぐって入ります。
▲千本鳥居。
ここには、五穀豊穣の神である宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)=稲成大神が祀られています。
▲太皷谷稲成神社本殿。
津和野の美しい街を見下ろすことができました。
▲津和野の美しい街並みが見下ろせる。
心をからっぽに
その後は少しだけ足を伸ばして、現地の人におすすめされた旧堀氏庭園へ。江戸時代、笹ヶ谷銅山の年寄役を務めた名家・堀氏の住居跡が庭園になっています。
▲旧堀氏庭園。
この日は邸宅の部屋から見事な紅葉が見えました。静かで落ち着いた部屋にいると、自然に心がからっぽになっていくのがわかります。いつまでもここにいたいほどの心地よさ。津和野のもうひとつのお気に入りスポットになりそうです。
▲旧堀氏庭園から眺める見事な紅葉。
しっとりとした街並みを歩いて歴史に浸り、邸宅で心をからっぽにする。何かを求めるわけではないけれど、少しだけ安らぎがほしい。
そんな大人の女にこそ訪れたい街のひとつが、ここ、津和野であると認定いたしましょう。