2019年09月29日

ヒールの靴が好きな私は「野蛮」なのか?

文・写真/池田美樹


このところ、流行ということもあってスニーカー派だったのですが、先日Twitterで見かけた上野千鶴子先生の“暴言”に静かな抗議の意を込めて、ふたたびヒール生活を開始しました。

その発言は以下の通りです。

はて、私の記憶が正しければ #KuToo 運動の始まりは「ヒールを強要されたくない」だったのではなかったでしょうか。運動の趣旨は「望まぬヒールを履かされる苦痛」について述べたもので、ヒールを否定するものではなかったはずです。

おそらく運動家たちがこれまで注意深く避けてきたであろうヒール派との「分断」を、この投稿が瞬時にして生じさせてしまったのでした。

私はヒールの靴が好きです。それは「モノとしてのデザインが美しいと思う」からであり、「履いている自分が好き」だからです。自宅には、普段履き用のみならず、美しすぎて履けずに観賞用になっているヒールの靴も数多くあります。

2013年に公開されたドキュメンタリー映画『私が靴を愛するワケ』には、ヒールの靴中毒とも呼ぶべき恐るべき人物たちが多く登場し、私も赤いヒールを履いてワクワクしながら新宿にこの映画を見に行きました。

登場人物のセリフにはこんなものがあります。

「靴は私を表現するのに欠かせないものよ」
「靴は履く人の気分を変える。いつもと違う自分になれて自信が持てるの」
「靴が自分の人生を変えてくれる、そう信じているわ」

私はこれらの意見に共感します。子どもの頃、そっと母親のヒールに足を入れてみた日から今日まで、靴は私を魅了し続け、どんな靴を履くかは私自身を表すことと同義でした。履きたいヒールを履くために足を入念に手入れする、そういう行為が楽しかったりもするのです。このような私は「野蛮」でしょうか。

「野蛮」をデジタル大辞泉で引くとこうあります。

[名・形動]
1 文化が開けていないこと。また、そのさま。
2 教養がなく、粗野なこと。また、そのさま。

ヒールを履きたくない人は自由にすればよい。でも私はヒールが好き。そう思っているだけなのですけれど。


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