2018年02月05日

エディター・池田美樹|40’sお仕事図鑑

文/守山菜穂子(編集部)

都会で美しく働く40代の 「スタイル」を探る連載「40’sお仕事図鑑」。映えある第1回目は、本メディアの編集長である、池田美樹。インタビュアーは、本メディアのプロデューサーである、守山菜穂子が務めます。

実は15年近い付き合いがあるこの2人。ただ「仕事論」ということで正面からインタビューするのはまた新鮮な感触が。 編集長、池田美樹の仕事論を、とくとご覧ください。

 

Q. 今日は仕事のことを質問させていただくのですが。改めて、美樹さんはどんなお仕事をされていますか?

美樹 私は、肩書は「エディター」です。訳すると「編集者」。編集者というと、本を作ったりする人のイメージが強いじゃないですか。でも、私の場合は「世界を編集する」と捉えています。

Q. わ〜! いきなり、かっこいいですね。

美樹 「編集」は、一見バラバラな物事を集めてきて、意味を新しく作って、ひとつの物にして、世の中に提案する仕事。だから雑誌を作ることも、「世界」を編集するのも、イベントを作ることや、何かのメディアに出演すること、なにかをプロデュースすることも、私は全部、「編集する」だと思っていてます。それで「エディター」と名乗っています。

Q.  それは「クリエイター」ではなくて、やっぱり「エディター」なんですか?

美樹 私は、ゼロから物を作らないんです。世の中の「これが面白いな」という素材があって、それを組み合わせることで「新たな価値を作り出す」というのが私の仕事だと思っていて。なので、スタート地点がゼロで「ここにまっさらの紙があります」「まっさらの材料があります」というところから作る訳ではない。そう意味で、やっぱり「エディター」ですね。

Q.  編集の「編」と「集」な訳ですね。集めて来て、編む。という。

美樹 まさにその通り。

Q.  美樹さんは、なぜこの仕事に付いたんですか?

美樹 私は熊本生まれ、熊本育ちなのですが、私が小さい頃って、メディアは、テレビと、新聞、雑誌、ラジオぐらいしかなかった。でもテレビ・新聞・ラジオって「おしゃれカルチャー」を教えてくれないじゃないですか。

Q. 確かに。ニュースとかドラマとか「情報」ではあるけど、「おしゃれ」ではない。

美樹 そうなんですよ。そんな中で「雑誌」に出合ってしまったんです。雑誌は私に「世界」への窓を開いてくれたんですね。パリで今、なにが流行ってるとか、ニューヨークの女性はこんな仕事をしてるとか。どこそこの国の女の人たちは、こんなファッションを楽しんでるとか、東京ではこういう女の子たちが、こんなお店に行ってるとか。

そういうことを、全部、雑誌が教えてくれたので、「私も伝える側に回りたい」と思ったのが仕事に至るきっかけです。最初はやはり、雑誌の編集者になりたくて。

Q.  出会った「雑誌」の情報の量と質がすごすぎたんだ。

美樹 そうですね。私はそのときは田舎の片隅に住んでいる、ただのちっちゃい女子だった。私が伝え手になることで、自分の知らない所に住んでいる全然知らない女の子が、喜んでくれたり、明日、違う行動を起こしてくれるようになったりするとそれはとても素晴らしいことだなと思って、この仕事を始めました。

Q.  その、雑誌を読んで衝撃を受けたのって、何歳ぐらい?

美樹 衝撃として覚えているのは、高校生ぐらいの時、雑誌『Olive(オリーブ)』に出合ってからですね。

Q.  伝説の雑誌『Olive』ですね。出会いの瞬間って覚えてます?

美樹 書店でたまたま見つけたんですよ。それまで『MC Sister(エムシー・シスター)』とか読んでたんです。

Q.  あー、私も読んでた! 懐かしいな。

美樹 そうすると、書店に行くじゃないですか。

Q.  買いにね。定期的に。

美樹 雑誌を買いに行って、その棚を見てるときに、他の雑誌もパラパラ見るじゃないですか。そこで、「わー! この雑誌、私の感性にぴったり!」と思ったのが『Olive』だったんですよね……。それで買って帰って。それから、毎月3日と18日は「Oliveの日」でした。


写真/マガジンハウスの玄関には「オリーブ」のイラストが描かれている。

 

Q.  『Olive』って月2回刊でしたっけ! 『Olive少女』という言葉も一大ムーブメントになりましたね。それで、具体的に「編集者という仕事に就きたい」と思ったのは何歳ぐらい?

美樹 ちょっと時期を遡るんですけど、中学2年生のときに、『タウン情報クマモト』という雑誌が創刊されたんです。タウン情報誌、地元の雑誌ですね。有料誌なのですが、まだ創刊2号目で、街で配ってたんです。それをもらったときに、衝撃を受けました。「自分の知ってる場所が雑誌になってる!!」「自分の知ってる人が雑誌に載ってる」。これ、すごい衝撃だったんです。

Q.  へえ、面白い。それまで「東京発」の雑誌を読んでたけど、「地元の雑誌」に出合って、また、雑誌愛が一歩、深まったのかな。

美樹 そうなんです。それが中学生の時。その後、高校生になって、『Olive』に出合って、「自分も作り手になりたいな」と思ったときに「もしかしたら、地元の雑誌なら、私にも作れるかも、私、東京のことは知らないけど、地元のことだったらなんでも知ってる」「できるんじゃないか」と。

Q.  なるほどね! じゃあ『タウン情報クマモト』が、「雑誌の編集をする」ってことと、「自分の居場所」を繋げてくれたんですね。

美樹 そうでしたね。それで、私は熊本大学の仏文科だったのですが、そこを卒業して、『タウン情報クマモト』を出版をしている会社にめでたく入りました。そこで編集者として働いて、3年経ってから、「もっと広い世界のことを扱いたい」「東京に行こう」と決めました。25歳の時です。

Q.  その時、生まれて初めて、東京に出てきたんですか?

美樹 そうなんです。遊びに行ったこともなかった。

Q.  遊びに行ったこともなかったの!? すごい。よく決めましたね。

美樹 なんかね、思い切りはいいんですよ。思い切らないと、人生、変わらないじゃないですか。そういう時ってありますよ。

Q.  ある。わかる。

美樹 それで、まず東京で家を借りて、半年ぐらいバイトをして暮らしてたんです。家賃を払わなきゃいけないから。バイトをしてる時に、たまたま知り合った人が、「出版社の人知ってるよ」って言ってくれて。ご縁があったのが、「白夜(びゃくや)書房」という会社。いわゆる「エロ本」を作ってる会社だったんです。そして私は3年間、『熱烈投稿』というエロ本の編集をしました。

ところがまた、3年経った頃に、「いやー、私は全国の青少年を確実にムラムラさせているのかどうか、自分じゃわからない」「私はこのエロ本の世界で、トップが取れないんじゃないか」と思い始めたんですよ。

Q.  面白すぎる(笑)。そこでも、トップ取りたいんだ。

美樹 「トップが取れなきゃ意味ねえ」と思ってた(笑)。それで、転職しようと思ったんですけど、実はその会社にいた3年間、毎週、『朝日新聞』の日曜版を見ていました。出版社の求人が、日曜日の新聞に出るんですよ。

Q.  出てましたね〜。私も小学館の中途採用で入社したのですが、募集は朝日新聞の日曜版の求人欄でしたね。

美樹 その朝日新聞に、憧れの『Olive』を作っている出版社、マガジンハウスの求人が出たじゃないですか! 「よし、私の時代が来た。俺を呼んでるぜ」と思って(笑)、受けました。1,600人ほど受けに来たと聞いていますが、そこで11名が合格しまして。

Q.  しかし、よく白夜書房のエロ投稿雑誌から、おしゃれ女子の憧れ『Olive』っていう、180度違う転職をなさいましたね。びっくり。

美樹 転職してしばらく「今までは、女性を脱がせる仕事でしたけど、これからは着せる仕事です」って自己紹介してましたね(笑)。当時は、エロ本を作ってる女性編集者なんて、業界にもほとんどいなかったんです。「なんか面白そうじゃん」って、採ってもらえた部分はあると思います。

Q.  それは、当時のマガジンハウスの「イケイケ感」とか、会社の懐の広さを感じますね。

美樹 そう思います。当時、採用してくださった上層部の皆様方には感謝してます。

Q.  つまり、最初から「キワモノ」として入ったわけですね(笑)。

美樹 はい。明らかにキワモノ扱いですよ。珍獣(ちんじゅう)扱い。

Q.  「変なやつ、入って来たぞ」「やばいやつ」っていうね。

美樹 そんな感じでしょうねえ。そして、入社して無事に『Olive』編集部に配属されまして、その後は『Hanako』『anan』『クロワッサン』といった女性誌をずっと作ってきました。途中でデジタル時代になったので、デジタル事業部にも所属して、ウェブの雑誌を作ったり。あとは、読者モデルさんを組織して運営したり。


写真/同じ熊本出身のスタイリスト・馬場圭介さんと。

 

美樹 22年間、勤めたんですけど、大学院に行って、次の人生を始めようと思い、2017年に50歳で会社を退職しました。

Q.   50歳から大学院。なぜ?

美樹 会社勤めだと、60歳、あるいは65歳までしか勤務できないですよね。今「人生100年時代」と言われているのに、その後はどうやって生きていくんだと。私は、70歳でも80歳でも、90歳でも100歳でも仕事をして生きていきたい。今から助走を始めれば、人生の後半に間に合うのではないか、と思いました。

ある意味、編集者ってなんでもできる仕事なんです。でも、自分が大学に行ってた頃とは、教育も社会も変わっているので、大学院に行って、専門的に学びなおして、もう一度、自分の専門性を付け加えたいなと思って、退職・進学を選びました。

Q.  なるほど。では今、再び進化の最中なのですね。大学院に通っているけど、美樹さんの肩書きは「エディター」。この仕事の好きなところは?

美樹 いろんな人に会えるところ。いろんな経験ができるところ。そしてそれを、自分だけの経験、自分だけが知り合った人というだけに留めておかず、たくさんの人に伝えることができることです。

Q. ふむふむ。じゃあエディターの、きついところ、大変なところとかはありますか?

美樹 作るものが華やかなので「華やかな仕事」と思われるんです。実際、自分自身もおしゃれにしていなきゃいけないので、今日みたいな寒い日も、頑張って薄着をして、おしゃれをして来たりもするわけです。でも、華やかなところを見せるために、水面下で9割は努力。見えてる所はたぶん1割にも満たないぐらいかな、と思うんですよね。ジャージ着て、髪振り乱して、原稿を書いてたりね。

あと、人へのアポイントを取るのも、誰でもインタビューを受けてくれる訳じゃないので、何度も何度もお願いして、インタビューさせていただいたり。そういうこともたくさん経験してきました。もちろん断られたこと、怒られたことだってありますしね。そういうところが、ツラいと言えばツラい。でも、やっぱり雑誌や記事という形になると「やってよかったな」と思いますね。

Q. その、水面下の努力って本当に見えないから、ただただ「華やかな職業」だと思われてること多いですよね。私もよく、出版社に行きたいっていう就活中の大学生と話すんですけど、彼女たちは割と無邪気に「ファッション雑誌の仕事したいです。華やかだし」とか言いますね。「いやいや、結構きつい仕事だよ」と言うと、「そういう面もあるんですね」とかびっくりされることも多い。

美樹 ファッション雑誌は、重い荷物を持って、ロケのために朝早く起きて、モデルさんを綺麗に見せるために、自分が床を這いつくばって泥まみれになったりすることもあったり。あと、誰よりも先回りして気を利かせないといけないので、大変なところもありますね。

Q. ありますよね〜。では最後に、美樹さんがエディターと言う仕事をしていることの「意味」って、なんですか?

美樹 私は「伝える」という行為を通じて「世界がこんなに面白い所だよ、興味深いところだよ」というメッセージを伝えたいです。例えば私は「エディター」という仕事しか経験して来なかったけれど、ふと「消防士の人って、どういう毎日送ってるんだろう」とか思ったりする。これは、誰かが伝えてくれないと、分からないんですよね。さらには地球の裏側の国で、誰がどういう物を食べて、日々なにを考えて、人がどう過ごしているのかなど、伝えてくれる人がいてこそ、分かることですよね。

私が何か、自分の心に引っかかった事象を「伝える」ことで、それが誰かの生きる糧になったり、明日を照らす光になったり、力になったりすると思う。そう信じてます。

Q.  そうかあ。これからも、記事なり、イベントなりを編集し続けていきたいですか。

美樹 そうですね。読者にも、また取材させてもらった方にも、どちらにもメリットがあるような、いい取材を続けて行きたいですね。

 

「伝える」ことをひたむきに続け、伝えることの意味を考え続けている、「Beautiful 40’s」編集長。この新メディアでどのような取材をするのか、どのような伝え方をして行くのか、ご期待ください。

 

PROFILE

池田美樹(Miki Ikeda)
1967年生まれ、熊本県熊本市出身。熊本大学卒。(株)マガジンハウスにて『Olive』『anan』『Hanako』『クロワッサン』等の女性誌の編集に携わったのち、独立。現在は慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の修士課程に通いながら、『EDIT THE WORLD』のCEOとしてラジオ・イベント出演、メディア連載など多方面に活動中。シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ。俳人・如月美樹としても活躍。
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冒頭写真/小池哲夫
文中写真/池田美樹(編集部)
テープ起こし/ブラインドライターズ


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